⭐️ 2025年 8月14日-21日
東京新宿 京王百貨店で「猪木酒場」が復活!!
期間限定8階レストラン街「カフェ&レストラン キャニーズ」が会場。 同時開催「猪木エクスポ」で有名プロレスラーの豪華対談イベントも
↑ 世田谷区 用賀 焼鳥 串焼き『 市屋苑(いちおくえん)』
2025年8月追記:
プロレスラー・ハルクホーガンさんの思い出
『ハルクホーガンを困惑させた少年じゅんちゃんおじさん』
2025年7月、プロレスラー「ハルク・ホーガン」さんが旅立たれました。
私(じゅんちゃんおじさん)が生まれて初めてプロレスリングの生の試合を観たのは 1980年代、浜松体育館でアントニオ猪木とハルクホーガンのMSGタッグマッチでした。(ディックマードックやアドリアンアドニスも来ていました。レフェリーはミスター高橋、リングアナウンサーはケロちゃんだったと思います)
そこで、少年時代の私は、あのハルクホーガンを困惑させ、
「 ( What’s !? このジャパニーズボーイは なにをしておるのかな??)」
とリングサイドで汗だくになったハルクホーガンが振り返って私を青い瞳で不思議そうに見下ろすという、貴重な体験、思い出話があるので、それを書いてみようと思いました。
実は試合のこまかい内容などはおぼえていないのですが、記憶に残っているのは売店のこと。当時はプロレスグッズを売っているお店というのは地方にはほとんど無くて、プロレス雑誌に載っている通信販売以外で直接購入できる機会はめったにありませんでした。だから、私はなけなしのおこづかいをにぎりしめ、試合会場の外の通路の売店に並べてある「猪木の闘魂キャップ(ぼうし)」「一番Tシャツ」「真っ赤な闘魂タオル」のどれを買うべきか真剣に悩みました。私の財力では一つしか買えません。いや、闘魂タオルは高くて買えなかった記憶。一番Tシャツは、大ヒット商品となったおかげで街のTaka-Q近くや姫街道近くの洋品店でもめずらしく取り扱っているメジャー商品。というわけで紺色の闘魂キャップをめでたく購入して、財布がからっぽになりました。(当時は赤色のアポロキャップ、インベーダーキャップというような帽子も流行っていました)
そしてその闘魂キャップをにぎりしめたまま、メインイベントの試合を立ち見観戦。試合が盛り上がって、なにかのはずみで場外へ猪木とホーガンがそろって降りてくる展開に。
立ち見券観戦の良いところは、勝手に場所をうごけるところで、このときにすばやくホーガンの背後に近づくことができました。(しかしこれは勇気が必要なことです。外国人レスラーには乱暴で手荒な人もいます。アドリアンアドニスが悪気がないファンサービスのつもりで親しみをこめて一般ファンの背中をどやしつけ、やられたほうはその力加減に顔面蒼白になっている場面も見かけました。一つまえの時代のタイガージェットシン・上田馬之助 のような選手だったら近づこうという発想すらしなかったと思います)
テレビ観戦だと気付きませんが、本物のプロレス会場は照明のあたっているところはとても明るい反面、それ以外の観客席は暗い場所も多くて、試合の興奮で頭に血が上ったワアワア殺気立っている大人たち群衆のなかをかきわけてうごくのは危険もあります。
気がつくとなんとハルクホーガンの汗だくの背中が少年だった私の目の前にあり、手を伸ばせば触れられる距離に、見上げると壁のようの高さから滝のような汗が流れ続けています。
私はおもわず、手にもっていた闘魂キャップで、その汗をふきとってあげようという、なぞの親切心、トンチンカンなおせっかい行動、にでてしまったのです。
(そのとき少年だった自分がどういう意図だったのかは思い出せません。ハルクホーガンの汗がしみついた闘魂キャップならさらに価値があって誰かに自慢できるかもというような発想があったのかなかったのか…?)
少年である私が、せこせことホーガンの背中の汗を闘魂キャップ(帽子)でふいていると、
( … What’s !? )
と、言葉には出しませんでしたが、そういう表情で背後をふりかえって、誰もいないので、目線を下にさげ、闘魂キャップをにぎりしめて、頼まれもしないのに汗を拭いている謎の日本人少年(私)に
( …このジャパニーズボーイは なにをしておるのかな? )
と、青い瞳で問うているのが子供の自分にも理解できました。
ホーガンの向こう側にリングと照明があり逆光の暗い空間で、ホーガンの瞳にだけ どこかからライトがあたって、やけに美しく輝いていました。
ホーガンは2メートルを超す巨体の紳士レスラー(善玉=ベビーフェイス)であり、こんなことで子供相手に怒ったりするはずはないのですが、
帽子の生地で直接肌を撫でられたら、けっこうチクチクして嫌な違和感だったろうなと、いまになって思います。 ホーガンさん、ごめんなさい。。。
ハルクホーガンの「一番Tシャツ」は1980年代、日本全国のどこでも売っていました。浅草、高円寺、吉祥寺でも売っていました。
当時は「 白地に赤い縦書き」か「赤地に白い縦書き」が多かったような気がします。黒地はおしゃれで玄人っぽいけどあんまり見かけなかったような…。
⭐️ DDTプロレス
私(じゅんちゃんおじさん)のプロレス知識は昭和の時代でとまってしまっていますが、新しい時代のプロレス団体というのもいろいろあるんですね。いまの時代もプロレスファンは熱い
・ 全国で「アントニオ猪木展」が開催されているそうです。
大型連休中の現在は埼玉県川越市の「丸広百貨店」豪華ゲストあり
2025年4月26日 追記:
・ 東京後楽園ホール 6.12 初代タイガーマスク(佐山サトル)が登場!
・ 初代タイガーマスク、新間寿さんとの「秘話」告白(スポーツ報知)
2025年4月10日 追記:
◆ 元 全日本プロレスラー・川田利明さんのラーメン店「麺ジャラスK 」が世田谷区喜多見(東宝スタジオまえサミットストア成城店近く)にあります
喜多見商店街プロレスイベント
2024年11月17日(日曜日)、世田谷区の小田急線 喜多見駅まえの広場で無料で観戦できる商店街主催の本格的プロレスイベントが開催されました

↑ 小田急線の喜多見駅ホームから撮影

↑ 写真は観客の顔がわからないように粗い画素数に加工しています。どちらも試合以外の時間帯なので観客が少なめですが、試合が行われたときはリングの周囲を観客が埋め尽くしました。場外乱闘もありました
⭐️ 喜多見商店街 公式サイト
⭐️ 大日本プロレス 公式サイト
↑ 「新日本プロレス」「全日本プロレス」の団体が有名だと思いますが、その前身の「日本プロレス」のながれをくむ由緒ある本格派の団体であり「力道山のさいごの弟子」である「グレート小鹿」さんが会長を務めています
⭐️ ↓ 試合結果はこのページのさいごに載せてあります ↓
じゅんちゃんおじさんとプロレス
この記事を書いている私(じゅんちゃんおじさん)は子供の頃プロレスが好きで、アントニオ猪木の「闘魂」と金色で刺繍された紺色の闘魂キャップ(ぼうし)をかぶって、ハルクホーガンの「一番」と書かれた赤と白のTシャツを着てひとり悦に入っていました。
その当時は、金曜日の夜のワールドプロレスリング「新日派」と、日曜昼放送の「全日派」とプロレスファン層がわかれていました。
私はだんぜん初代タイガーマスク(佐山サトル)が好きでした。
私がはじめてプロレスを生で観戦したのは、静岡県浜松市の、かまぼこのような形の屋根をした体育館で試合が行われたときで、試合開始まえにアントニオ猪木がリングの上で仰向けで腕を組み、首だけでブリッジする準備運動していた姿を間近で見たのをいまでも覚えています。
アントニオ猪木が海外から輸入してきた「ひまわりのタネのお菓子」という謎商品をおそるおそる売店で買って食べた思い出があります。
ネット検索したら当時の様子を書いた記事がありました。
リンク:『MSGタッグリーグならではのドリームタッグ!アントニオ猪木&ハルク・ホーガン!』 伊賀プロレス通信24時 さん
上野毛とプロレス
プロレス好きなひとには有名ですが、世田谷区の上野毛(等々力の駅から多摩川の河原へむけて歩いて行ったところ)に新日本プロレスの道場(合宿所)が今現在もあります。
新日プロレス上野毛道場の場所 地図
いまネット検索したらおもしろい個人ブログがあったのでご紹介(タイガーマスクのライバルも登場!)
⭐️ 東京ひとり旅 新日本プロレスの道場&寮へ行ってみた その後渋谷を経て高崎市へ
用賀とプロレス
私(じゅんちゃんおじさん)は、世田谷区の用賀に住んでいますが、じつはこの用賀はプロレスととても縁が深い場所なのです。
くわしい話が書いてある力作ブログ記事がネット上にありますのでご紹介↓
⭐️ 用賀とプロレスの意外な関係 〜前編 〜【世田谷とプロレスシリーズ1】
↑このブログ記事のシリーズにもでている用賀の焼き鳥屋「市屋苑 いちおくえん」は2024年11月現在も営業しています。いまもプロレスラーや格闘家のひとがちょくちょく飲みにくるようです。
一時期、東京のJR中央線沿線駅(新宿、大久保、高円寺)などにプロレス観戦酒場やレスラー出身者の居酒屋や、ちゃんこ鍋屋さんがあちこちにあったのですが、いまは減ってしまいました
ネット動画配信とプロレス
2024年現在では、たくさんのプロレスラーが直接語る動画をネットで視聴することができます
⭐️ じゅんちゃんおじさんイチオシ動画
『佐山聡は惜しい存在だった 闘魂三銃士 #5 アントニオ猪木「最後の闘魂」チャンネル』
このほかのチャンネルをさがしてもいろいろでてきます。前田日明、藤波辰爾、長州力 本人たちが当時のプロレスや修行時代を語っている対談やインタビュー動画はファンにとってはとても興味深い内容です。藤波辰爾は若い頃アフリカの奥地の村にひとりでおいてけぼりにされて「ひとりで自力で帰ってこい!」と猪木に言い渡されたりしたそうです。
プロレス漫画『プロレススーパースター列伝』
私のこども時代、週刊少年サンデーという漫画雑誌に連載されていた『プロレススーパースター列伝』という作品。
そのマンガの裏話(真実)をまとめた本がこの2024年11月になって発売されるそうでそうです
↑ 漫画を読んでいたプロレス好き少年の素朴な疑問としていまだ解せないのは、なぜこの伝説的レスラーたちの最終をかざるコミック17巻のエピソードが「狂乱の貴公子!リック・フレアー編」だったのか… 私(じゅんちゃんおじさん)には謎でした。
追記:
比較的あたらしい漫画では、「プロレス」や「プロレスラー」のことを強者と設定して描く場合とそうでない場合があります。
・『バキ道』『刃牙道』他(板垣恵介)→ プロレスラーは弱いと描かれている
・『タフ』(猿渡哲也)→ プロレスラーは強い
・『餓狼伝』(板垣恵介・原作 夢枕獏)→ プロレスラーはかなり強い
漫画史上最強レスラーは『ドラゴンボール』で天下一武闘会に優勝したミスター・サタンの可能性も…。
むかしは、プロレスラーの本があれこれ発売されていて、講談社の少年マガジン編集部からアンドレ・ザ・ジャイアントの『 俺こそ ザ ワールド』というような書籍もでていました。実物大の手形もおまけでついていたり。
プロレス雑誌の別冊ムック本という形でミル・マスカラスの写真集もあったり、タイガーマスクは豪華装丁の写真集もでていました。
お金持ちの同級生友人は、通信販売で本物(一点もの)のメキシコプロレスラーのマスクを購入して自慢したりしていた時代です。
↑
ヘビー級でありながら空中殺法がつかえるルチャリブレ・レスラー「ミル・マスカラス」は弟ドス・カラスと共に大人気のマスクレスラー。彼は、入場してリングにあがるときにマスクを2枚着用(オーバーマスク)していて、リングにあがったときに自らじぶんのマスクをとって観客にむかって放り投げてプレゼントするというファンサービス(パフォーマンス)を行っていました。
「俺はプロレスくわしいぞ自慢」をしたい人たちは「マスカラスよりもエル・カネックのほうが実力派だ」と主張したり、「やっぱりメキシコといえばグラン浜田だよな」と賞賛したりしていました。
入場するときのテーマ曲「スカイハイ」も大人気でした。
( ↑ 再生できない場合は 左下の【見る▶️YouTube】ボタンでユーチューブ のサイトに移動してから再生できます)
このほかプロレスラーの入場テーマ曲といって思い出すのは、
長州力の『 POWER FALL (パワー・ホール) 』 作曲は平沢進
( ↑ 再生できない場合は 左下の【見る▶️YouTube】ボタンでユーチューブ のサイトに移動してから再生できます)
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喜多見商店街イベントプロレスの結果
⭐️ 2024年12月31日 おおみそかに特別興行が東京後楽園ホールで行われるそうです