⭐️ 質問:「どうして広島に原爆が投下されたのですか?」
回答:広島市
⭐️ 原子爆弾の標的となったのは 日本人のこども、女、高齢者 でした。兵士や軍や基地ではありません。これは、兵士対兵士の「戦争」ではなく、残虐ないっぽうてきな殺人です。
戦争であれば、白旗をあげて降伏し、生き残る選択肢をえらぶこともできました。
戦争であれば、爆撃前に事前通告して降伏や退避をよびかけることができたはずです。
「戦争」ではないので、突如いっぽうてきに殺されます。日本人のこどもや女の人や年寄りが。おおぜい。即死者は14万人とも言われています。長崎市では7万人以上。
圧倒的に強い者が圧倒的に無力で弱い者を、安全な空中から大量虐殺しました。
それが広島市へと、長崎市への、原爆投下。戦争ではありません。虐殺、犯罪です。
★ テレビでだれかが言っていたことをうのみにするのでなく、
インターネット検索で出てきて書いてあったことをうのみにするのでなく、
自分自身でしらべてみましょう。時間をかけてすこしづつ。
しらべたことを相互に矛盾点や疑問をつきあわせながら、
自分自身で納得できる事実をつみかさねながら理解をすすめていきましょう。
実際に、原爆投下された地へ、広島市や、長崎市へ、
そして、沖縄、サイパン、グアム、ハワイ、パラオや南方の島々や、アメリカへも行ってみて、自分の目でたしかめてみるのがよいと思います。すぐにでなくていいから、すこしづつでも。
近代史や太平洋戦争を解説した本はたくさん存在します。それぞれに異なる歴史事実の解釈や整理をしていて、なかにはまったく真逆の内容を書かれたものもあります。
(けれどそれはそれほどめずらしいことではありません。あらゆる分野の学問の論文でも、一般のひとの議論でも、会社の会議でも、裁判の弁論でも、映画の感想でも、さまざまな立場や境遇や年齢や関連知識の量によって、見方や意見主張が異なったり、変わってくるのは、ふつうにあることです。善悪ではありません。)
自分自身の頭を使って、こころをつかって、あせらずに、ひとつづつゆっくり、たしかめながら、考えや理解を深めていくのがよいと思います。
・1945年に広島のどこにどんな軍の基地があって戦闘員とよべる男の兵隊が何人いたか? なぜ爆心地が市街のまんなかなのか?
ごまかすために「広島」とだけ書いて「広島市」と「広島県」のちがいを意図的にごっちゃ混ぜにしたり、「明治時代から軍都・一大拠点だった」というように1945年8月時点の実態状況と直接関係ない表現をわざともちいている記事や文献もあります。
・「建物疎開」という言葉を知っていますか?
この作業をしていたのはだれでしょうか? こどもたちです。
なぜ、こどもたちがそれを行なっていたのでしょうか? 大人(兵士)がいなかったからです。
あなたは日本人ですか?
日本人であれば、こどもたちを爆弾で問答無用で一方的に殺した行為に対して、どう思いますか?
★ 広島 原爆の日を知ろう 1945年8月6日のこと(中國新聞 U35)
日本で兵士ではない一般市民へむけた機銃掃射が行われた記録
★「戦争」とは、兵士と兵士、軍と軍が戦うものであって、
「戦時下」をいいわけにして、弱い者である女子供老人一般市民に対して行われた一方的な「殺人」「虐殺」「暴力」「機銃掃射・狙撃」「住宅地への空襲・焼き討ち」「原子爆弾投下」を「戦争」と呼んではいけない。
ごまかされたり勘違いして間違ってはいけない。
それは「殺人犯罪」「虐殺行為」であると再確認する必要がある!
という強い意見が日本国内にあります。
⭐️【語り続ける戦争遺跡】機銃掃射痕がある伊勢大橋(三重県桑名市)
中日新聞 動画
⭐️ 大阪環状線 JR玉造駅 に残る ガトリング砲の跡
リンク
⭐️ 昭和20年8月6日、基町高校の前身の「旧制広島市立中学校」の
369名の生徒および教職員が一発の原子爆弾によって犠牲になりました
◆ 防空壕を出ると、機銃掃射の銃弾が降り注いだ…東京で「戦場」見た90歳が願う「孫もひ孫も戦争に渡すまい」(東京新聞)
◆ 中國新聞ヒロシマ平和メディアセンター
ヒロシマ8・6 各地で慰霊祭 優しかった父の笑顔だけが形見/生きている者の役割増している
◆ 戦争遺跡の保存 記憶を「形」で残したい(東京新聞)
ネット検索で「 戦争遺跡 機銃掃射 」と調べてもいろいろな画像が見られます。
ヨーロッパへ観光に行って、ボスニアやクロアチアの建物の銃弾跡を見たことのある日本人も多いと思いますが、日本国内でもあちこちで銃弾が穿った穴の跡を見ることができます。きょう現在でも。
◆ 原爆(げんばく)ドームについて
◆ 広島平和記念資料館
↑ 「戦争や平和」には関係なく、一般市民へ対する虐殺行為であり、その非道虐殺行為を「戦争の一部の不幸」として封じ込めたりイメージ作りをする意図があると指摘する意見、名称を変えるべきだという意見もあります。
「あやまちを繰り返さない」という「碑文」には主語がない、こどもたち一般市民へ対して残虐行為をしたのはだれか主語がない、という意見もあります。
・東京の大空襲がよく知られていますが、同時期に日本全国各地の町で、非戦闘員である一般市民が空襲をうけています
・しずおかの空襲(浜松)焼夷弾の雨、浜松炎の海 静岡新聞
・静岡県 浜松市の空襲
⭐️ 姫路空襲
空襲から守るために黒い網を掛けられた姫路城
⭐️ 沖縄へ全国都道府県から参じた日本人
各都道府県慰霊塔・碑一覧
・回天
・知覧
万世特攻平和祈念館
鹿屋航空基地史料館
知覧特攻平和会館
・靖国神社
・パラオ・ペリリュー島
・グアム
・サイパン
・ガタルカナル
・シベリア抑留
・ひめゆりの塔
・二十四の瞳
・厚木航空隊事件
・占守島の戦い
・カリフォルニア収容所
・対馬丸
・沖縄
・パールハーバー
・インディアン
・ハワイ国
・インド 手首塚
・オーストラリア・アボリジニ
・ニュージーランド・ナイチンゲール
・米国国立公文書館 ワシントンDC
・アメリカ国立公文書記録管理局
・ハル・ノート ゾルゲ事件
・巣鴨プリズン
・静岡県 鈴木敬司大佐とビルマ(ミャンマー)
・小野田寛郎(おのだ ひろお)
・岡田資(おかだ たすく)中将
・東京裁判
インド パール判事
石原莞爾の証言
・コミンテルン
・オレンジ計画 War Plan Orange
・日米合同委員会 日米地位協定
・ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
↑ このページで紹介しているのは戦争や近代史を調べたり勉強するための「きっかけ」「てかがり」のほんの一部です。
ここに載せているリンク先の記事や映像で語られている内容がすべて真実といえるかどうかはわかりません(保証できません)。
各自が自分自身の頭と心をつかって、歴史の実像、戦争の真実について、自分自身にあったペースで、それぞれで述べられていることを突き合わせて、矛盾や不整合、現在の日本の現実とのつながりとをよくたしかめながら、「本当になにがあったのかを知る」勉強を、ひとまかせでなく、じぶんのちからですすめていくことで、自分自身の血肉や本物の知識になっていく、それがたいせつなんだと思います。
自分自身の手作りで、私製オリジナルの「年表」と「歴史教科書」をつくってみるのも勉強にとても役立つと思います。
更新 2024年 9月17日