1866年イギリスの眼科医Dr. J. L. H. Down(ダウン博士)が症候群として報告したことから、そう呼ばれるようになりました。「下がる」「〜の下」といった意味は含まれません
きょう3月21日は「ダウン症」の日だそうです。
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私(じゅんちゃんおじさん)は、町のなかで出会ったり、見かけたりするたびに、自分のこころのなかにある「毒気」のようなものを浄化して消し去ってくれる「ぽかぽかしたひだまり」のような笑顔をむけてくれることに、なんども人生のなかで救われているような気がします。
自分が町のなかで、知らず知らずのうちに無意識に険しい表情になっているところに、ふと、そのことをなにも言わないのにやわらげてくれる。そんな気がします。
ちいさなことやくだらないことで腹を立てている自分。つい、傲慢な心持ちになって「自分はひとよりも力が強い。頭が良いんだ」と勘違いした醜いトゲのように硬くなった思い上がった増長を、
なにもいわずにやさしく、ただその笑顔で、ゆるやかにもとの素直な、健全な、まともな状態にもどしてくれるような空気をもっている、そんな風に感じています。
いつも笑顔で、やさしくて、他人をきずつけたりしない。
その笑顔は「いきているということの気持ちよさやうれしさ」を湛えているように思えます。
みなさんがいてくれることで、私はいつも明るい気持ちになれたり、うれしい気持ちになれたりします。
ありがとうございます。
こころのうつくしいみなさんが、そこにいてくれるだけで、自分よりも何倍も上等なお手本がそこにいてくれるだけで、
自分ももっとマシな人間になろう。
ひとをきずつけたり、威張ったりすることがない人間になろう、
そう自省することができます。気づかせてもらえます。
ダウン症のひとには、まわりにいるひとたちを明るくて優しい気持ちにし、元気をださせてくれるちからがあります。
私にはいまも思い出す一つの情景があります。
むかし、昼間 バスにひとりで乗って座席にすわっていたダウン症のひとが、とても機嫌のよさそうな表情で窓の外を見ていました。
バスの窓のそとの景色、そこから見えるすべての世界が、新鮮で美しいものだといわんばかりに目をかがやかせて、ずっとずっとあきることなく真剣なまなざしで幸せそうに見続けていた情景がいまも私の記憶に鮮明に残っています。
その人こそが美しい。と私は思いました。
私よりもずっとずっとその人のほうが人間として上等で心が美しいと思いました。
そしてその人の美しさが、私のなかにかろうじて多少はあるちいさな美しい部分をすこしづつでも成長させてくれるような気がしました。
そこにいてくれて ありがとう。
いつも健全なこころのありようのお手本をしめしてくれて、たすけてくれて、ありがとうございました。