私の個人的な意見です。「傘さし登下校」「日傘を使った登下校」は、私は注意が必要だと思います。
2020年5月下旬、ニュースで「晴れていても日傘のように傘をさして登下校する小学校のようす」が紹介されていました。
児童が登下校時にほかの子と距離を保つための工夫
(5月時点では「ソーシャルディスタンスを保つため」、
8月時点では「熱中症対策」と、日傘の目的がすこし変わったような報道がなされています)
ということですが、
傘はこどもの視界が狭まり、片手の自由がなくなります。
からだのちいさなこどもにとってランドセルを背負った長距離の登校はそれだけでもたいへんです。
「小学生」と聞いて「小学6年生」を想像するひともいれば「小学1年生」を想像するひともいます。
安全や苦労は、強いほう、丈夫なほうに合わせるのでなく、ちいさなほう、か弱いほうに寄り添って考えるのがよいのではないでしょうか。
この話題をかんがえる前にはかならず、自分で外にでて、登下校時間にこどもの姿を道路上で、自分の目で実際に観察してから、考えたり、意見をのべる必要があると思います。
・小学1年生の身長が何センチなのか
・小学1年生の握力が何キロなのか
・小学1年生の身長の目線でなにがどのくらい見えるか
・ランドセルがどのくらい重いのか
・どれくらいからだ全体をいっしょうけんめいうごかして歩いているか
・どのくらい長い距離をあるいているか
・自動車や自転車がどのくらいこどもの近くですれちがっているか
・つよい風、突風に吹かれることがある
感染と交通事故どちらが危険か。
こども と おとな で事情がちがいます。
その地域の交通量、道路事情、その土地の風の強さによっても状況は異なります。
風にあおられた場合は、交通事故だけでなく、転落事故(崖、側溝、川、道路橋、鉄道橋)の危険性もあります。
よくニュースになる岡山県の危険な用水路は有名ですが、似たような用水路や雪解け水用のフタなし側溝は全国的にあります。都会であっても急勾配の坂と崖は多くあって、ガードレールがあっても小学生の体の大きさだと簡単に下をくぐってしまいます。
それぞれの現場独自の各種事情をよくわかった当事者たちの創意工夫や試行錯誤はとてもたいせつだし、よいことだし、ほめられることだと思います。
そして、実行してみて、その状況・状態をしっかり現場の複数の目、多数のおとなが当事者責任をもって継続的に確認・観察し、もしも問題点がみつかれば再検討・改善、周辺環境の変化への対応、ときには方針転換や中止するのも、また大切なことだと思います。
ほかのことよりも、まず第一に こどものいのち をまもりたい。
考慮すべき点
・成長期に日光にあたる時間が減ることでなにが起きるか
・過去の傘で起きた事故や交通事故、事件から学べること
・過去の日傘で起きた事故や交通事故、事件から学べること
・小学校低学年の本人たちに話をきいてみる
・こどもはまっすぐ歩かない
・雨にぬれないので傘を遊びやケンカに使ったり投げたりする
・直射日光(紫外線)はウイルスに対して低減させたり死滅(失活・不活化)を早める効果がある、という米国土安全保障省科学技術局の発表もある
・熱中症を最大限危険視するならば、そもそも夏休みがなぜ8月に設定されているのかを思い出し、年間授業時間確保のためという理由で気温30度を超える8月に登校させそれを補わせるのが適切なのか再考したほうがよい。
また、文部科学省が公式に8月から周知しているように「2メートルの距離がとれる場所ならマスクをつけない」に従って登下校するのがよいのではないか。(校門のまえでマスクをつける感じか。)
・臨時スクールバスや方面ごとのマイクロバス、保護者が協力して送り迎えなど、別観点からの発想や工夫。
インターネット上で指摘されていた意見:
・せっかく開放された野外にいるのに、傘の屋根をつくり各自が持つことでかえって通気性のわるいテント内のような状態にしているのではないか?
全国の小学校で行われている工夫の例
- 登下校時の負担を減らすため教科書を家や学校におきっぱなしにしてOK
- ランドセルをやめてナップザックで登下校
- 学校の校内にミネラルウォーター自動販売機(公費負担でタダで飲める)を設置
- 登下校時の制服着用を一時的に私服OK(高校)
どれも良いアイディアだと思います。さらに大切なのは実際にその現場でそれを継続的にしっかり観察して再評価やより改善していくことだと思います。
例えば、ランドセルは重いけれどもいざというとき衝撃クッションになるメリットも備えていたので、省いたものが新たなリスクを生じさせていないか見直す。
いつでも冷水が飲めたらうれしいけれど、全国の学校によっては給食予算が切り詰められて栄養摂取が十分でないところも存在するので、予算措置できるならそちらにまわして栄養をつけるほうが子供の健康成長および免疫力向上や熱中症につよい基礎体力をつけることになるかもしれません。
なにか新しいことをやったら、その経過結果を、よかった点、新たにわかった問題点、両方を正直に公けや全国の学校全体に情報公開共有して、つぎのよりよい方法につなげていくのが良いやり方だと思います。
各学校独自の判断で 「休校」
各家庭独自の判断で 「自主欠席」
もおこなわれています。
大切なのは、真剣に子どものいのちの安全に気を配りつづけること。そして現場のおとなたちが最終的な責任をもって真剣に危険性の総合的なバランス評価・判断に取り組むこと。
子どもの いのちがかかっています。金儲けのためのビジネスとは次元がちがうのです。
特定テーマの補助金予算、コンサルタント、広告代理店、政治家、利害関係を持つ役所担当者や担当教職員や特定業者による、子供の実情を慮ったりかえりみない場当たりで安易な施策が子供を危険にさらすようなことが起こらないようにしなくてはいけません。
安全性がよくわからないけれどお金儲けになるという理由で、安易に子供のいる場所に危険な食品、危険な薬品、危険な製品、科学的根拠に乏しい無責任な技術や方法を持ち込んでほしくない。
お金目的で自分の言葉や行動を「売る」おとなが存在するのはしかたがないことかもしれませんが、そのツケを無関係な子どもたちが払うことになるような状況を私は看過できません。
なぜこのような意見表明をしているのか
あとで、「危険が予見できなかった」「想定外だった」とならないように。危険を指摘されることで予防策がとられたり安全対策がさらにすすんでいくように。
以前、国内の芸術展示イベントで「なかに入ってあそべる木製ジャングルジム」で火災が発生し子供が犠牲になる事故が起こりました。真剣に深く安全性やさまざまな可能性を考慮想定せず監督責任のあるはずのおとなが責務を果たさずに、照明用の白熱電球を木屑のなかに安易に置いたことが火災原因だと言われています。(2020年8月現在 裁判の初公判が行われています)
子供が火に焼かれ死んでいく姿をみて「だれも危険について声をあげる大人がいなかったのか」という感情がわきませんか?
もういちどおなじことが起きてもあなたの心はだいじょうぶですか? そういう社会にしていきたいですか?
他にも、日本の実際の道路上で遊ぶゲームアプリによって子供が自動車事故の犠牲になるということも起きています。
いなかの平和な道路で、祖父とちいさな孫がのんびり散歩していたところに場違いなスポーツタイプの自転車が猛スピードで近づいて子供をはねて逃げる映像がニュースになったこともありました。
見て見ぬふりはしない、できない
「それは危険じゃないか」と気づいたときに、よけいなことに躊躇することなく、まずその声をあげることでまもられる、防げる事故というのがあると私は考えます。
ざんねんなことですが、「現場当事者」「関係者」であると、その場で「空気」や「批判的な意見をしたその後の不利益」を考えて危険の指摘ができないという現実が世の中にはあります。
今回の場合、当事者である子供は幼く、それを決めるおとなに対して意見ができません。また、その保護者たちは批判的なことを言うとそのコミュニティのなかで「浮いた」り、じぶんの子供に不利益があったりすることをおそれて、思ったとおりの意見を言いにくいことがあります。
そもそも、ちいさい子どもの親御さん保護者のほとんどは年齢が若く、子育て経験も人生経験もまだ短いのです。
自動車事故を起こす確率の一番高いのは自動車運転免許を取得したばかりの若い世代です。
若い人たちが、危ないものの存在、危険な事例があることを知らなかったら、そこにいる年長者や年配のおとなが教えてあげればよいことです。
今回の件は、地域によって状況は大きく変わります。道路事情(幅員、専用歩道の有無)、交通事情(自動車自転車の交通量)、そもそもの気温や気候、日差しのぐあい(木陰やアーケードや建物の影が多い通学路もあります)、地形、風の強さ向き、児童ごとの家の場所と通学路の事情、個別の体力、その他、真剣に時間をかけて多くの人が検討することによって見つかるこれまで気づけなかったあたらしい視点や危険性もでてくるでしょう。
真剣に時間をかけて考え続けていくと、熱中症の問題がじつは、子供が身に着けている運動靴、靴下、肌着が夏の季節にあった機能的な製品かどうか、普段の冷房がある環境と外の気温差が大き過ぎないか、家での起床から登校までのあいだに水分補給塩分補給ができているか、日ごろの食事や献立、栄養状態など子育て環境の事情、経済的な事情など、その個別の細部にまで考えが及んでいくかもしれません。
私は「日傘登下校をやめたほうがよい」と言っているのではありません。
賛成、反対、イエスかノーではないのです。
いろいろな危険性が考えられるので、今後より以上に安全性を多角的に考えたり、また、もし、ニュースを見知ったり、仮にどこかからなにかの企画が持ち込まれたり仕掛けられたりして「よし、うちでもやろうか」と安易にうごきはじめることへの注意喚起をしたい、
子どものいのちにかかわることなので、雑に考えたり、一律に考えたりすることがないように、注意喚起したい
子どものことは、まじめに、真剣に、割り切らずに、ていねいに考えよう、考え続けよう。
そういう思いです。
私が批判的な意見表明をすることで、なにか私自身に「損」することが起きようとも「安全、安全、口うるさいおじさんだ」という そしりをうけたり、煙たがられたりしようとも、それを引き受ける覚悟があります。
自分がなにかの不利益を蒙ったり、損をしても、こどものためには、特にこどもの命のためには、言うときは言う。
そういう おとながまだいるからね。
そういうおとなの姿をみせる、それが、こどもたちへのわずかばかりであっても、安心につながると思っています。
日本人のおとなとして、日本のこどもたちをまもることに、躊躇も遠慮も損得勘定もしません。
そして、それがわかってもらえるのが、日本であり、日本社会だという思いもあります。
「傘(かさ)」という物は、まじめで人の役に立つ、日本人に長年愛されてきた道具で、歴史があり日本が誇れる地に足の着いた仕事であり、技術であり、立派な産業だと考えています。
実際に外国で買った傘と日本で買った傘をくらべると、日本製の傘のほうが圧倒的に品質がよいことを人生経験上 知っています。
ここでは「子どもが登下校時に日傘を使用することについて」注意喚起を行っています。
それは 私が一番 のぞまないことですが、日傘登下校によって交通事故が起きた場合、この記事の内容は、「予見可能性」「回避義務」について「世間では危険性を指摘する声もあった」というひとつの証拠になると思います。(損害賠償請求裁判 時)
それを踏まえたうえでの十分な現場の調査検討と覚悟、責任をもっての導入、さらなる安全配慮が検討されることを願って。
金儲けのために 子どものいのち が ないがしろにされる世の中をつくりださないように。
※更新 2020年 8月31日
記事初出 2020年 5月29日
文責は、すずきじゅんじ にあります