おとなが危険を指摘して声をあげる責任(バスを待つ幼児)

幼稚園(または保育園)のお迎えバス(ドラえもんの外見をしてる)を道のまんなかで並んで待っているこどもたちの短い映像

インターネットSNS「 X 」の投稿が流れてきて私の目に入りました。

この投稿者のかたはまったく知らないかたです。たまたま人気があった投稿が私の画面に表示されたのだと思います。また、この投稿者のかたが書いているコメント内容には私もはほとんど同意します。

ただ、この映像についてはどうしても言っておきたい気持ちがでてきて、その私の意見を書きます。

いのちのかかった危険に気がついたら、おとなは声をあげよう

私(すずきじゅんじ)は、この映像を見てとても危険で、そのままにしてはよくないな、と思いました。

・車道と歩道の区切りが無い道の真ん中に子供を立たせてバスや車両の接近を待たせるのは危険。
 それが習慣や「あたりまえ」にならないように、車が通る場所では、なるべくすみに寄って安全な場所に立つ。
(車のうごきが見える場所で、かつ、立っているひとの安全が確保される場所。もしも車が急に方向を変えてつっこんできたりしても、よけたり、ケガが防げる場所にいられるのが安全。)
 たとえ限られた車両だけが低速でくる安全に思える場所であっても、それはおとなの常識です。こどもが「道の真ん中でうごいてくる車を待つ」ということに慣れてしまうことがあぶないです。ほかの危険な道路や、でかけた先の駐車場で「車を怖がらなくなって車の進路にでてしまう」危険が予想されます。


車と子供の間には大人かガードレールがいつも存在するようにこころがける。 ガードレールのかわりに、鉄柱や石製の車止め、鎖やガードパイプや重い花壇の後ろ側や、段差のある歩道や、もしものことが起きても、より安全だと考えられる二重、三重に死亡事故を防げる場所に常に立つクセ、習慣をつける。つけさせる。

おとなはいろんなことを考えてしまい、ときに本当に大切なこと、最優先して考えなくてはいけないことと「優先順位」が逆転してしまうことがあります。
「ちょっとあぶないよな」と思っても、「ちょっとしたことでなんでも注文をつけたり批判したり、危険を心配するクレーマーやモンスターペアレンツみたく思われるのはいやだな」「ご近所さんのなかで浮いてしまわないかな」「苦情みたいに誤解されてあとでうらまれないかな」ともあれこれ考えて、なかなか危険を指摘する意見、声があげられないような場面は、あると思います。

しかし、「おとなである自分がちょっと嫌な思いをするかもしれない」というリスクと「こどもが交通事故で死ぬかもしれない」という危険と、どちらが重大かは、議論の余地がないと思います。
(言い方の工夫や、協調や調整しながら話をもっていくのももちろん大切)


この映像にもあるように、最近の幼稚園や習い事の送迎バスはこどもにとって魅力的な外見をしている車両もふえています。
この映像をみるとわかりますが、バスがまだとまっていない状態で、すでにこどもたちがバスに近づいてうごいていっているのがわかります。
これはとても危険です。

この「ドラえもん幼稚園バス」でなくても、幼児は、おもしろそうだと思いたったら、歩道から車道にとびでて、車やタイヤにだきつきに行ったりします。実際にそういう交通事故も起きていますし、起きそうになった事案もたくさんたくさんあります。
自分のもっているミニカーとおなじ車が車道を走っていてそれに近づこうとしたり、救急車や消防車や工事車両がお気に入りな子供が走っていってさわろうとしたり、バスなど広告(ラッピング広告)でキャラクターの絵が描いてあってそれを見ようと近づくなど…。

幼児にはまだじゅうぶんな判断力や、じぶんの行動をコントロールする自制心がそなわっていません。
だから、とにかく、まず、「車や車道はこわいもの」だと何度も何度もくりかえし教えてからだにしみこませること。
車、特にうごいている車に近づいていってはダメなこと。あぶなくてこわくて危険だということを教える。

そして、大人の側は、子供と車のあいだに、どんなときでもガードレールをおいてその内側に立つ習慣をつける。
急にこどもがとびだそうとしたときに「とおせんぼ」したり、腕やからだをつかんでひきとめてあげられるように、おとなが、車道とこどものあいだに壁になって立つようにしましょう。

過去に、
・ゴーカートコースを手作りしてイベント開催し、そこで乗る順番を待っている親子の列へゴーカートがつっこんで子供が死亡する事故
・ながいすべり台(スライダー)を手作りしてみんなですべるイベントを行っていたとき、いきおいがですぎた子供がすべり台からはみだして落下して死亡する事故
が起きたことがあります。

アート展示イベントで
・木製で子供があそべるサイズのジャングルジム展示物のなかに白熱灯がついていて、その熱から火災が起こり子供が焼死する事故
が起きています。

イベントに参加した親御さんのなかには「ちょっとこの会場や設備の作り方だとあぶないんじゃないかな…?」と気がついたひともいただろうと思います。
(実際そういうコメントをネット上でも見かけたことがあります)

命の危険に気がついたら、おとなが、じぶんが、
たとえ、なにか、時間や手間や評判などを損しようとも、そんなことは気にせずに、一歩まえにでて、積極的に声をあげて、こどもたちのいのちをまもりましょう!!
それこそが、おとなの最重要の責任だと思います。そのこどもの「親」だけでなく、地域に住む、そこにいるおとな全員の責任であり義務だと、私は思います。

なんでもかんでも安全が最重要といっているのではありません。
もしケガをしてももとどおりになおるくらいのケガならば、ときにはケガをすることも成長に必要なことかもしれません。
しかし、
いのちに関わる危険については、おとなが絶対にまもってあげなくてはいけないと思います。

「強い者が弱い者をまもる」、いつでも。どこでも。
毎日の積み重ねで、そういう社会に近づけていきましょう。

In May 2015, Melinda Sanders, a school bus driver, nearly caused the death of Ally Rednour when she failed to notice the young girl trapped by her backpack in the bus door.

After the incident, doctors reported that Ally endured ‘severe abrasions’ covering 12 percent of her body,… pic.twitter.com/QqONiv7WR6— Morbid Knowledge (@Morbidful) April 12, 2024

↑ これは2015年5月15日アメリカのケンタッキー州で起きた事故。ウィルカーソン小学校のスクールバス運転手が、無事に子供がおりたことを確認せずにドアを閉めてしまいそのまま発車しリュックがはさまったまま子供がひきずられつづけるという事故がおきました。

こどものいのちをまもるには、
複数のおとなが、複数の目で、
つねにこどもの身の安全のことを気にかけてまもってあげる

地域社会全体で安全の確率を高めてあげる、できるだけのみまもりをしてあげる、
ということがたいせつだと、私は思います。


バスのなかに閉じ込められる、おろし忘れされる深刻な事故もたくさん起きました。

こどもが死亡する事故や事件がおきてから泣いて悲しんでも、とりかえしはつきません。

「だれかが言ってくれたら危険に気がつくことができたのに。事故をふせぐことができたのに…。」 そんな後悔をしないように。

子育て中の親、は母親も父親も、まだ本人じたいが若くて、人生経験もみじかいです。

「そんなことはだれも教えてくれなかった…」
「そういうことを言ってくれるひとがまわりにいなかった…」

そんな無念のこえをきいてから嘆いても、どうすることもできません。
だから、
かなしい事故や事件がおきる「そのてまえで
おなじ町、おなじ地域に住んでいるおとなみんなの目、手、心で、こどもたちや、高齢者、からだの弱いかた、みんなをまもり、たすけて、
交通事故をふせいでいく毎日の努力をつみかさねていきましょう。


2024年4月13日