追記:
・2025年3月11日「3歳の男の子が軽トラにはねられた」こども園の駐車場で通園中の園児はねられ重傷 京都・京田辺市
・2025年3月10日 広島県安芸区 JR呉線 列車と衝突 小6男子児童が死亡
◆ 横浜市営バスに74歳女性がひかれ死亡 車道側を歩いてバスの前に出たところひかれたか バス運転手(54)を現行犯逮捕 横浜・磯子区
私(じゅんちゃんおじさん)の考え。
おとなの男が、まちのなかで、ほかのひとの安全のことまで目や神経をくばってまもってあげることがあたりまえの日本社会になっていくことで、すこしでも町の安全度をあげたいけたらよいとかんがえています。
他人であっても、おとなの男がまもる。
じぶんが損をしても、手間がかかっても、
ときには、誤解されていやなおもいをしたり、あだとなって敵意をむけられたり、怒られたり、損をしたり、危険な目にあったとしても、
それをひきうけるだけの度量と、真剣さをもって、
まちのなかで歩く、社会のなかでいちばんつよい者である自覚と責任をもつことがたいせつだと思います。
⭐️かんがえつづけています
【 高齢者が道路で危険な行動をした場合、どこまで口をだしたり、手をだしたりして介入したほうがよいのか? 】
私(じゅんちゃんおじさん)は町のなかを歩いて毎日交通安全活動をしています。
「いのちの危険にかかわることは余計なお世話といわれても介入しよう(こころをこめて真剣に、気持ちがつたわる工夫をして)」
「いのちの危険にすぐに関係しないことには口出しをせず、時間をかけてつみかさねて、自分や自分たちおとながお手本をまちのなかでみせつづけることで、町全体の交通安全度をあげていこう」
という考えて活動をしています。
実際にまちのなかにいると、横断歩道でない場所を横断する高齢者は多くいます。(これは高齢者にかぎりません)
車やバスの前後を横断する高齢者もいます。
そのときに私は、ほとんどの場合、口出しはせずに、そのひとのやりたい行動をそのまま見守って、すこしでもそのひとのいのちの安全度があがるようにそのひとのかわりに手をあげて、接近してくる車の運転者に対してすこしでも早く横断者の存在をしらせるようにしています。
高齢者とひとくちに言ってもいろいろな健康状態があります。
ひとめみて歩くのがたいへんそうだったり、首や腰がまがって視線が下へむいていて視界がせまくなっていたり、杖をついていたり、足をひきずっていたりします。
その歩くだけでもたいへんな苦労をしている高齢者に対して「遠回りだけどむこうにある横断歩道をわたりましょうね」ということが、わたしにはなかなか気軽にはできないでいます。
それがそのままで良いような気はしません。
しかし、どうするのが良いのかは、確信がもてずに毎日活動をつづけています。
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「高齢者」といっても、20年まえ30年まえは健康な現役世代をすごしてきたはずです。そのさらに40年まえ50年まえは若者であり、子供だった時代があります。
私は、交通安全はつみかさね。だと考えています。
からだにしみこむ「交通安全」を、何十年もかけて、地域でつくりあげていくのがたいせつなことなのではないかとかんがえています。
高齢者や障がいをもった人だけをまもる、ということでなく、
耳栓イヤホンをしたまま踏切のなかにはいっていって事故にあってしまうひともいます。
自分側の信号機が青色にまだなっていないのに歩き出してひかれそうになってしまうひともいます。
つねにいます。どこにでもいます。
もしそのすぐそばにじぶんがいたときは、そのひとのいのちをじぶんがまもろう!
たとえじぶんが「損」をすることがあっても。
よけいな口出し、手出しだといわれることがあっても。
その役目をひきうけよう。
それを率先してまずやってお手本をみせるのが、現役世代のおとなの男の役割だと私は思います。
つよい者がよわい者をまもる。
交通安全だけでなく、社会のいたるところで。
つねにそうすることで、
道路上でも、学校でも、社会のどこででも、
すこしづつそのつみかさねで、安全の度合いがあがっていって、
より安心できる日本社会へむけて、すこしづつ良い方向へすすんでいけるだろうと、私は思います。