梅雨があけて夏直前のいまの季節。夜、家のなかにいるよりは外の公園で涼みながら飲食するひとが多いのか、町のなかにある公園のベンチ付近でゴミのポイ捨てが目立っています。
私(じゅんちゃんおじさん)の活動「交通安全みまもりゴミ拾い」は、その名のとおり
優先順位① 交通安全 (いのちをまもる)
優先順位② みまもり (こどもや高齢者の安全をまもる)
優先順位③ ゴミ拾い (安全であかるい町の空気をつくる)
という気持ちで活動をしています。
ゴミがあってもゴミを拾わずにそのままにしておくことがあります
こどもたちがあそぶ公園のなかに、マクドナルドやスターバックスの食べ終わったゴミが袋ごとまとめて投げ捨てられていることがよくあります。ストローのささったアイスコーヒーのプラスチック容器、ペットボトルやビールの空き缶もたくさん不法投棄されています。汁のはいったカップラーメンの容器とわりばしが散乱していることもあります。タバコの吸い殻や空箱も散らかっています。
ほとんどの場合、私は、なにが捨てられていても、だれが捨てようとも、そのゴミを拾ってかたずけていますが、ときどき、そのゴミをそのままにしておくことがあります。(その現場で実際にゴミの状態をみて、じぶんのこころにきいてみてそのゴミをどうするか決めています)
理由は、
・「ゴミはそのへんの地面に捨てておけばだれかが自動的にかたずけてくれるものなんだな=ゴミは持ち帰ったり、自分で処理しなくてもいいんだな」と誤解するひとがでないように。
・そのゴミを捨てていった人が、もういちどその場所に来た時に前回じぶんが捨てていったゴミがあるのを見て「ありゃ!? あれはじぶんの捨てていったゴミだ。ああ、ひどくはずかしいことをやってしまったな…」と気づいてもらって、そのあと同じようなポイ捨てやゴミの置き去りをしなくなるように。
(夜でまわりが暗いとついゴミをポイ捨てしても見えなくて気にならなかった。お酒を飲んでぼんやりしていてゴミのしまつを忘れていた。仲間といっしょに飲み食いして盛り上がっていてゴミのことまで気にしていなかった、ということもあると思います)
・どんな種類のゴミが、どのくらいの頻度で、どのくらいの量ポイ捨てされているのか。の現状をその公園の近所の住民が知ることは、地域の環境整備や治安を考えるときに必要だろうと思うから。
以上のような理由から、ときどきゴミを拾わずにそのままにしておくこともあります。
しかし
本当にそういうやりかたが良いかどうかは確信があるわけではなくて、
もしかしたら、どんなときでもつねに全部のゴミを清掃したほうがよいのかも知れません。
正解はわかりません。だから、私はなるべく実際に現場でそのゴミのまえで心にきいてどうするか決めるようにしています。
(私以外にも、世田谷区内には自主的に公園の掃除をしてくださっている個人・有志のかたたちがおおぜいいます。もちろん公園の清掃管理を行なっている指定業者も存在します。なので実際のところゴミがずっとそのまま放置されつづけるということはほとんどないのが現状です。)
公園のゴミ。じゅんちゃんおじさんの本当の気持ち
私が公園でゴミ拾いをしていると
「ゴミ拾いおつかれさま。ほんとゴミたくさんあるよねえ、こんなにポイ捨てしていってひどいやつがいるもんだね」
と声をかけてくれる人もいます。
「ゴミ拾い、がんばってるねえ。 しかしこんなに散らかされたらさすがに腹立つよねえ」
と同意をもとめてくる人もいます。
しかし、じつは、私(じゅんちゃんおじさん)はあまりゴミを捨てるひとに対して強い怒りの感情がわいたり、腹がたつということは、あまりありません。
(こういうことを言うと「ポイ捨てを肯定している」と誤解されるといけないのであまりそとでは言いませんが。)
食べ物、飲み物のゴミがポイ捨てしてあったら、まず自分のこころに思い浮かぶ感情は、
「たべものを買うお金があってよかったね」
「たべものを食べられて、おなかがふくれてよかったね」
という気持ち。それが反射的に浮かんできます。
安くて有名なOKストアの惣菜コーナーで180円で売っている焼きそばの容器とわりばしが公園にポイ捨てされていたら、
「それでお腹、足りたかね? だいじょうぶかね?」という気持ちになるし、
冬の寒い時期にビールの空き缶がポイ捨てされていたら、
「さむくなかったかい? 熱燗のほうが身体あたたまるんじゃないのかい?」
と、そのゴミを捨てていったひとが寒さにつらい思いをしてないか案じてしまいます。
公園にこどもが食べた駄菓子のゴミが散らかっていることもあります。私はそれを見て「躾(しつけ)」や「教育」のことよりかは、「平和なゴミだなあ」と笑顔になったり「お菓子たべておいしかったかい、たのしかったかい、よかったねえ」という気持ちになります。
もしその子供のみじかに、ゴミはゴミ箱にすてたり、自分で持って帰ることを教えてくれるおとながいなかったら、それはその子供の責任というよりは、おとなたちみんなの責任ではないかと私は思うのです。
おとなみんなが子供にお手本をみせて伝えているのか?
(それに昔はすべての公園にはゴミ箱が設置されていました。それを廃止したおとなたちはそれに伴う責任を果たしているか? 廃止で浮いた予算はどうしたのか? )
公園にはときどき「なげやりな自分の気持ちをだれかにアピールして、見てもらいたい」というような派手な散らかしかたでお酒の缶、ビンや、タバコの吸い殻を散乱させて不法投棄していくひともいます。
公園のベンチや植え込みのまわりに、これでもかというくらい「怒り」のようなものをただよわせた「あばれたゴミ」が捨てられていることもあります。
もしそのひとがいま住む場所、家がなくて、ホームレス状態だったり、
運悪く仕事も見つからなかったり、ケガや病気でからだのどこかに不調をかかえていたり、家族や友人とうまくいっていなかったり、生きることにやっとという状態であったとしたら、「ゴミのことまで考えてられねえよ、知ったことかよ」と乱暴な気分になったとしても、「まあ、そりゃそうだろうなあ」と私も思います。
ゴミのポイ捨ては いけないこと。
ゴミの不法投棄はルール違反。
それはそうなのだけど、
ゴミに関しては、そのゴミを直接どうにかすることがだいじなんじゃなくて、
そこにいる人間のほうがだいじ。
社会はすべてつながっている。
わたしは、そう考えています。
※ この記事はのちほど修正・加筆する予定です
・