歩道でよわいひとをけちらして走るジョギングランナーや自転車乗りにならないで

2024年11月 追記:

・ランニングしていてスピードがのってくると気持ちよくなって夢中で走り続けたり、「ランナーズ・ハイ」の状態になって、疾走することをやめられなくなる状態があることは、多くのひとが経験的にしっています。それが河原や陸上トラックのランニングコースなら問題ないのですが、歩道上でそれをやってしまうと、歩道上にはたくさんの高齢者やこどもや「走り」のスピードとは異なる、進行方向も異なる「歩行者」が存在します。
日常的な歩みの速度と比較すれば「ランナー」のスピードは、歩道を暴走する原付バイクのような怖さと同等です。
 若くて、特に速く走れるような若者は、どうしても他者の運動能力や反射神経を自分と同等くらいのものと錯覚しがちです。しかしそれは大きな間違いで、高齢者にとっては、走るどころか、まっすぐ歩くこともむずかしい人が少なくありません。大きな荷物を持ってよろけながら歩くこともあるし、暗い夜道では街灯があっても他者がよく見えなかったり、周囲にちかづいてくる人の気配に気づかない、耳がよく聞こえない場合もあります。そういうときは、たとえぶつからなくても、おどろいてよろけて転んでしりもちをついたり、ケガをすることも実際にあります。運悪く車道側にころがりおちてしまえば、命にかかわる事故も起きかねません。

⭐️ 参考:笹川スポーツ財団の研究レポート(提案)
 『ランニングやジョギングを楽しむランナーと 交通弱者の共存および住み分けの提案』(抄録)
 ・スライド一式

・ネット検索で、ジョギングランナーと歩行者、または車や自転車との接触交通事故や裁判などの実例をさがすといろいろでてきます。

・マラソンや駅伝のシーズンで、まちのなかでジョギング、ランニングする人の姿が増えてきたように思います。
そのなかで、これまでよりも「思いやり」や「より丁寧に歩行者に配慮する」ことをこころがけたジョガー、ランナーが以前よりも増えてきたように思います。
自転車が歩道上でじゅうぶんな徐行をするのとおなじように、まえがふさがっていればすこし距離をあけて足踏みしてあおらない。歩行者のすぐわきのほそいすきまをスピードだして追い抜いたりしない。おどろかさない。
見ていれば、「ああ、このひとはだいぶ気をつかって気をつけて走っているな」というのは一目でわかります。
 ジョギングするひとたちや、マラソン関係者、運動部の教育者など、そのなかであらためてジョギングマナーについて啓発、啓蒙をすすめてくれている人がいたり、その数が増えているのかなと想像しています。

おとなは子供にこう言って注意します。
「学校の廊下は走らない!」
「お店のなかや、ひとごみのなかでかけまわらない!」
なぜか?
その理由を考えれば、もちろん、公共の歩道でどうするべきかはわかるはずです。
スポーツすることがわるいのではなく、いつでも「思いやり」を忘れない。
他者に危険をおよぼさないように気をつける。

「ランナー」が、歩道上を暴走する自転車や電動スクーターやスケートボード、暴走族などと、同じなのか、ちがうのか、は、ランナー自身のふるまいかたにかかっています。

⭐️ ジョギングをするひとが、歩行者のなかで高齢者やこどもに気をつけるのはもちろん大切です。さらにもっとも気をつけてほしいのが歩いている「赤ちゃんのいる妊娠中の女性」です。
妊娠中のストレスが胎児にあたえる影響が非常に深刻なことが研究で報告されています。驚かせるようなことは絶対にしないようにしましょう。

⭐️ 夜間にジョギングする場合は、黒色以外のあかるい色の服が目立って安全です。点灯するライトや反射材も身につけると安全です。

⭐️「折られた白杖は7本」 暴行被害に声を上げた視覚障害者の願い


2024年10月 追記:
「こどもはおとなのマネをする」
子供、未成年、学生、若者に罪があることはほとんどありません。
おとなたちのマネをしているだけです。
これ以外にも全国で多くの大学や学校の不祥事、事件、弱いものいじめ、暴力や性暴力の実態が報じられています。

日大陸上競技部とスケート部でも不適切徴収…奨学金対象54人に免除の納付金を振り込ませる 読売新聞

すこしづつでも、市井のこころある健康なおとな、「マシなおとなたち」が
「おかしいものはおかしい」と静かにしかしはっきりと声をあげて、行動して、社会治安の悪化や、世の中がくらい空気になっていく現状をかえていきましょう。
卑怯なおとなや、ずるいおとな、きたないおとなのほうが偉そうに威張っていたりする姿をこどもたちに見せつづける現状に対して「そんなひどいことはやめておこうよ、な?」が言えるつよいおとなが言う。行動でしめす。
毎日のつみかさねで。あわてず。すこしづつ。現実と協調しながら。
まちのなかに本当の笑顔がすこしづつでも増えていくように。
日本の将来があかるくなるように。
こどもたちや若者へ「ほんとうにかっこいいというのはどういうことなのか」を伝えていくのが地域のおとなの責任だと思います。

追記:2024年9月27日

歩道をスピードを出して走るマラソンランナーやジョギングする人がいますがそれは子供たちや高齢者にとっては歩道を走る暴走自転車や電動スクーターと危険性は同じです。思いやりを教えてもらえず大きくなればそうなってしかたありません。いま、次の世代の子供達のために町のなかで大人が思いやりのお手本を見せることが、おもいやりのある人間、おとなを育てることにつながります。

 ・東京都迷惑防止条例 東京都  警視庁
 ・日本陸上連盟 安全対策ガイドライン
 ・事件: 大阪市の商店街で奇声をあげながら集団暴走
    FNN   ねとらぼ  J-CAST

おかしなことをしている大人がいたら、地域のおとなが声をあげて「おかしいものはおかしい」と言う勇気も必要です。治安や交通安全は毎日の積み重ね。悪化してから平和や安全をとりもどすのはむずかしいことです。

追記:2024年9月23日
 まちのなかでジョギングするひとのなかで、すこしづつ歩行者の安全に気を配るひとが増えてきているような気がします。ありがとうございます。
 まちのなかでおとなが見せる思いやりのお手本。だいじだと思います。
→ ジョガー、ランナー、運動部のひとのなかには、公共の歩道で住民に迷惑をかけない思いやりランニングやマナーについて積極的に啓発啓蒙活動してくれている個人や団体の方達もいるそうです。 ありがとうございます。


追記:2024年8月13日
【かっこわるい「ぶつかりおじさん」にならないで!】
 まちのなかで思いやりのない大人の男が増えているように見えます。

 多くの人が行きかう駅や街なかの混雑している場所で、からだの大きな男の人が「われさきに」と他人にぶつかる勢いで自分だけ最短距離を歩いて得をすればいい、「ぶつかったらはじきとばしてやる!」という足早な歩きかたをすることが増えているのを見かけます。
 特にかっこわるいのが、じぶんよりも体のちいさな女性や子供や高齢者、小柄なひとにだけ、ぶつかるいきおいで至近距離まで「威嚇」「あおる」「幅寄せ」のように体当たりしにいくクセに、相手が、体が大きくてケンカが強そうだったり、ヤクザや半グレのような風体のひとにはぶつかっていかないところです。
 これははっきりいって日常生活で行われている「弱い者いじめ」のひとつといえると思います。

 どんな場所でも、いつでも、
 強い者が弱い者をまもる! たすける!

 強い方がよける、ゆずる。
 逆をいえば、避ける方がつよいひと。ゆずれるひとがつよいひと。

若い女性、女の子たちへ:
 こういうカッコ悪くて思いやりのない男の人と出会ったり、つきあっても、しあわせにはなれないと思います。
おつきあいする男性をえらぶときは、こういうところもよく観察しておくとよいと思います。

 どんなに高額そうなスーツ姿であっても、有名な企業のピカピカなビルから出てきても、そのひとの人間性は、歩き方ひとつで正味のなかみがわかることがあります。

付記:
よく観察していると、その町に住んでいる地元のひとの歩き方と、
そこに住所がなくただ通勤などできている人では、歩き方が異なります。
率直に言って、住民のひとは思いやりのある歩き方をするひとが多いですが、
通勤などでその町に来ている人は、どこか「自分の町じゃないから無責任で乱暴な歩き方をしていても顔も名前もばれないからいいじゃないか」という人が多いようです。信号無視や乱横断するひとも住民以外の勤め人の服装をしている人が多いです。
地方の田舎からでてきた大学生や新入社員が「都会でなめられちゃあいけない、負けないぞ」という意識で肩肘はってあるく場合も見かけますが、まじめなひとは、すこしづつ自分のおかしなふるまいに気がついて、「おれたちのほうが体が大きいんだから、こども優先だよな、お年寄り優先だよな」と、行動をなおしていく健全さがあります。 

つい最近聞いた話:
車であおり運転している男がいて、車をおりてさらに怒声をあびせようと相手の車へ近づいたら、乗っていたのは自分の会社の上司で、いっぺんに信用も立場もなくしてしまったということでした。

男性諸君へ。かっこわるい男にならないでほしい

わたしは毎日まちのなかで「交通安全みまもりゴミ拾い」活動をしています。
まちのなかで、いろんなひとを毎日みかけます。

「歩道」は、あるくひとのためのものです。自動車が走る車道からわざわざ段差をつけて高くして分離独立させて、ガードレール・ガードパイプなど防護柵をつけて、歩く人の安全のために手間や予算をかけて建造している「歩道」です。

強い人が弱い人をまもる社会をつくる。毎日のつみかさねで。

歩道には、
・高齢者
・杖をついたひと
・身体障害者
・目がみえないひと、耳がきこえないひと
・まっすぐゆっくり歩くことだけでもたいへんな苦労と体力をつかっている人
・からだのちいさな幼児、こども
・ベビーカー
・妊娠中の女性
・筋力体力のすくないひとが一生懸命買い物荷物を運んでいる
さまざまなひとがいます。

強い者が弱い者をまもる、気を配る、たすける、のが常にあたりまえの社会へとすすめていきませんか?

私がなぜこれについて声をあげるのか?

「社会はつながっている」と思うからです。
まちのなかでジョギングやマラソンをできる人というのは、体力や健康面で普通のひとよりも強い人、恵まれている人です。
「強い者が弱い者をまもる日本社会であってほしい。いつでも。どこでも。」
街のなかでジョギングするひとが、自分のしたいことをするために、歩道上で弱い人を蹴散らして走っていく、というのは「強い者が弱い者をまもる」のとは真逆の行為です。

そもそも、マラソンも、駅伝も、トラック競技も、どの走るスポーツであっても「歩道上を走る」という競技大会は存在しません。
歩道を走るというのはとても特殊なことをしている再認識が必要です。

ジョギングやマラソンは都会で人気の運動スポーツです。
それについて批判的な意見を述べれば、「なんだよこいつは。こっちが気持ちよく運動してるのに文句つけやがって」といらぬ反感を買ったり反発をくらうのは目に見えています。
しかしそれでも、じぶんがどんなに損をしても、にくまれても、私は言わなくてはいけないと思っています。
(誰かが言わなくては、それが言える強い大人がひるんだり、臆病者になったり、まちがった遠慮や寛容や、事なかれの損得勘定で黙っていたら、世の中はどんどんわるいほうへ、まちがった人のほうが威張ったりはばをきかせるふうな社会になっていってしまいます。)

いま、日本のあらゆる場面で、力の強い者が弱い者をいじめたり、あおったり、おいつめたりすることが、あたりまえのように増えています。
電車の乗り降りでも、駅のエスカレーターの追い抜き、改札口の「われさきに」という小競り合い。
耳栓イヤホン歩きスマホして、からだの大きいおとなが、こどもや高齢者を歩道上でけちらしながら闊歩してまんなかをあるく姿。
昆虫のような無表情でひとにぶつかっていくかのような進路をとる「ぶつかりおじさん」
傘や日傘がすれちがうひとの目にぶつかりそうになっているのにすこしもひいたりよけたりしないひと。

また外国人が増えて、外国人が日本では通用しないような自己中心的な乱暴なランニングをして歩行者に「どけどけ」と言っている場面も何度か目撃しています。

歩道で、歩いているひとにぶつかりそうな勢いでこわがらせたり、すれすれで「ぶつからなければいいじゃん」とすれちがっていく人が、では、その同じひとが自転車に乗った時にどういう運転をするのか?
その同じひとが自動車のハンドルをにぎったときに、どういう運転をするのか?
そのひとは「安全意識の高い、まわりのひとに気を配ったおもいやり運転」ができると思いますか?

交通事故の確率を減らしたり、町内の安全度をあげるというのは、事故や事案の単体の話ではなく、毎日の積み重ねでこそ変えていける(改善向上させていける)ものです。

特にちから、体力、運動能力のある現役世代のからだの大きなおとなの男性ひとりひとりが、全員のちからで、
こどもたちのお手本となれる「強い者が弱い者をまもる」そのお手本を、町のなか、歩道、道路上で見せていくことで、交通事故を減らし、町の安全度、住民みんなの安全意識を高めていきましょう。

【事故のニュース映像】横断歩道を勢いよく渡るランナーと左折車の陰から出てきた直進の信号無視の車が衝突 東京・二子玉川 FNNプライムニュース映像
(※ニュース映像なので時間が経つと削除されることがあります)


まず、おとなが、そのなかでもからだのつよい、男が、みんなのお手本となる、かっこいいすがたをみせて、毎日みせていくことで、日本社会を良い方向へすこしづつでも変えていきましょう。


ジョギングだけでなく、自転車もおなじ。
おとなであっても現実の道路状況によっては歩道内を自転車で走ることはよくあると思います。そのことは悪いことではありません。しかし、自転車で歩道内を走る時はつねに歩行者優先で、ひとがいるちかくでは徐行や停止。おもいやりをもって。スピードを出したければ歩道をでて、車道わきを走ることを選べばよいだけのことです。
むずかしくかんがえなくても、
いつでも、どこでも、
強いほうが弱いほうをまもる。思いやり。いのちをまもることがいちばんだいじ。
それをわすれなけば、法律やルールをぜんぶおぼえておけなくても、あんぜんに走れるはずです。

身体をきたえることや、町のなかで運動することがいけないのではなくて、
からだの強い人が自分のやりたいことをするために、まわりにいる自分よりも弱い人やちいさい子供のことを危険にさらしたり怖がらせていることがよくない。そこはもっと気をくばって、きをつけていきましょう。
それが私の伝えたいことです。