ADHD(注意欠如・多動性障害)の子を交通事故から守る
まちのなかを歩いている時、そこにはこどもたちがいます。
こどものなかには、乗り物にのっている子もいます。
「コンビカー」とは、車やバイクなどの乗り物の形をした乗用玩具です。「キッズカー」や「足蹴り車」とも呼ばれて、ペダルは付いていなくて、それにこどもがまたがって乗り、両足で地面を蹴って進む大型のおもちゃの乗り物です。
年齢があがっていくとキックバイク、ストライダー、
そしてキックボード、おとなも乗る電動キックボードなどもあります。
用賀のまちのなかでも、こどもがおもちゃの乗り物にのって歩道や道路をすすんでいる姿を見かけることがあります。
こどものなかには、じぶんの行動をまだおさえることができないこどももいます。
とつぜん車のはしっている道路へでていったら、車にひかれて大けがしたり、しんでしまったりする、というこわさがわからない(まだ理解できない)こどももいます。
もし、町をあるいているときに、自分のちかくにいるこども(他人であっても)が車がはしっている危険な車道にとびだしていきそうになったら、ちかくにいるおとな(じぶん)が、そのこどものいのちをまもるための行動をしましょう!!
こどもが車道にでられないように「とおせんぼ」してたちふさがったり、緊急であれば子供をおさえたり、のりものをつかんだりして止める。
場合によっては、ちかづいてくる車の運転者にたいして、「いまこどもがとびだしたよ!! あぶないよ!! そこにこどもがいますからね!! とまってあげて!! よけてあげて!!」と大きな身振りや声で、合図やしらせをおくって気がつかせて、交通事故が起きる可能性をさげてあげましょう。
そのときの状況によってなにが最善の方法(交通事故をふせぐ、こどものいのちをまもる)かはわかりません。絶対の正解というのはわかりません。
ただし、たすけようとする大人である自分の側がパニックになってまちがって危険度をあげるようなことはしないようにしましょう。それは事前にいろんな状態をあたまのなかで想像しておく訓練でできるようになります。
たとえば、こどもが赤信号なのに車道にとびでてしまったとき、突然大声でこどもに対して叱ったりすると、こどもはびっくりして道路のまんなかでたちどまってしまい、もしかすると余計に車にひかれる危険性が高まってしまうかもしれません。 そういう場合は、両側からちかづいてくる車の運転手側に急いで知らせる、おとなである自分自身が車にひかれないくらいの安全を保ちながら、車道にでていって目立つ身振り手振りの派手な行動で、こどもが飛び出し中である緊急事態であることを周囲にしらせる、ということができるかもしれません。
( ぎりぎりの状況であれば、こどもを守るおとなの側にその覚悟と運動神経と体力、判断力があれば、車道のなかまで入って自分自身が交通事故にあう危険性もひきうけてこどもをまもる行動も選択肢のひとつだと思います。
そういうあぶない行為はだれにでもできることではありませんし、ひとにもすすめられませんが、私=じゅんちゃんおじさん はその必要がある場面に遭遇したらそのような行動をとります。
そのために毎日、道路上ではつねに緊張感をもって、集中力をたやさず、ヘルメットなどの安全装備もつけて、活動にあたっています。 )
参考: ADHD(注意欠如・多動性障害)とは?
私(じゅんちゃんおじさん)は、こういう診断名?をつけたり呼称を用いることが適切なのか? よいことなのかどうか? について確かな考えをまだもっていませんが、ここではなるべく多くのひとに対して話が伝わりやすいように「ADHD」という単語をつかっています。
付記:↑ こういう専門用語や自分が知らなかった新しい言葉をしらべるときは、ひとつのサイトだけでなく、複数のホームページをさがして見比べて勉強をすすめるのが良いと思います
↑ もちろん、車道にとびだす子供全員がADHDだというわけではありません。ここでは ADHDかどうかに関わらず「車道へ飛び出してしまう子をまもろう!」という交通事故防止の話がメインテーマです
こどもの命をまもるのに ためらう必要がありますか?
・こどもの手をひっぱったり、からだにさわったら、痴漢や犯罪者にまちがわれるのではないかという心配。その子の親から、よけいな口出し手出しをするなと文句を言われるのではなないかという心配をして、子供をまもることにおよび腰になったり躊躇(ちゅうちょ)したりすることが現在の社会ではあるという話をききます。
普段のおこないがだいじ。信頼されるおとなとしての毎日の行動が、じぶんの行為にうしろめたいことがない適切な対応だったことを証明してくれるはずです。
まちのなかにはたくさんの防犯カメラや監視カメラ、走っている車のドライブレコーダーがあり、それも身の潔白の証拠になります。
そして、たとえ一時的に誤解されてその瞬間じぶんがイヤな思いや腹立たしい思いをしたとしても、こどもが交通事故にあうことにくらべたら、まったくちいさくて大したことのない話で、おとながその「損」をひきうけることがだいじ。それがおとなのつよさであり、責任だとわたしは思います。
実際の死亡事故 スケートボードの腹ばい乗りで車にひかれる
過去に世田谷区の用賀の南側、上野毛(中町ちかく)で交通死亡事故が起きています。
◆ 2020年6月23日 午後1時ごろ
ワゴン車にはねられ5歳男児死亡 東京・世田谷(産経新聞)
私(じゅんちゃんおじさん)も過去の活動中に、道路上で腹這いになってスケートボードに乗るこどもを見かけたことがあって、この交通事故の話をつたえてやめるようにすすめたことがあります。
こどもを事故からまもるのは親の責任、だけではない!
まちにいるおとな全員で、こどもたちのいのちをまもる。
交通事故はいつでも1対1で起きるわけではありません。
交通事故の危険はいつでも周囲をまきこむ可能性があります。
道路上の危険をよけようとしたり、運転手がパニックになって、もともとの危険行為や交通違反をした当事者とは関係ない周囲のひとがまきこまれて死亡する交通事故も多くあります。
交通事故を起こすのは「赤の他人」です。
交通事故で被害にあって重傷をおったり、死亡したりするのは「赤の他人」です。
交通事故がおきたあとで救助活動したり手当や治療をしてくれるのも「赤の他人」です。
交通事故に「じぶんは関係ない」「ほかのひとのことなんて知らない」は通用しません。
こどものお手本にはなれない「乱横断」をするおとなは毎日います
・
そもそも、こども用の乗り物はクルマがこない安全な公園や広場であそべばよいだけではないか?
ちいさいこどもが乗ってあそぶ「コンビカー(キッズカー、足蹴り車)」は、車や自転車や歩行者がたくさん行き交っている街なかで乗ったら危険なのはあたりまえじゃないか?
それはそのとおりだと思います。
そういうあぶない場所で幼児が乗り物であそばないように言いきかせるのが親の役目、教育じゃないか?
その意見もそのとおりだと思います。
しかし、現実社会では、そのあたりまえのことができないとき、できない状況というのがありえるのです。
どうしても、こどもが泣き叫んでいうことをきかない。
その乗り物がないと保育園や保育所に行かない、帰らない、動こうとしない。
こどものめんどうをみているのが、お父さんでも、おかあさんでもなく、おじいちゃんや、おばあちゃんであったり、親戚のおとなの場合もあります。事情があって親族ではないおとながお世話をしていることもあります。
ちいさいこどもだからといって、ちからづくで言うことをきかせられないこともあります。
完璧な人間というのはいません。完璧な親もいません。
だから、地域に住んでいるみんなで助け合って、おぎないあってやっていく。
地域の安全や、地域にすむこどもたち、地域にすむひとたちの安全をまもっていく。
ちからがみんなよりも強かったり、からだが大きかったり、ふつうの生活よりも余裕があったり、そういうひとが、よわいひとや、からだの小さい子、こまっているひとをたすける。
いつでも。どこでも。
社会はすべてつながっていると思います。
そして強い人も、やがて年をとれば、だんだんからだも弱ってきます。
そして弱いこどもも、やがて成長していけば体も大きくなり、強くなっていきます。
順番。そして、おたがいさま。
つよいものがよわいものをまもる。その基本形がつねに町のなかにあることで、社会の健全性がたもたれていくのではないでしょうか?
(※この記事は、のちほど推敲して加筆修正する予定です 2024/12/5 )
歩道での「暴走」は「ぶつかりおじさん」とおなじこと
乗り物がなんであれ、乗り物なしで走ることも、肩肘張ってすこしもゆずりあわないで突進して歩くことも、ぜんぶ「ぶつかりおじさん」と同様の思いやりのない行為です。
また、その行為は、車道上での運転にもつながっていきます。
そういうおもいやりのない大人たちの「暴走歩行」をまわりの子供達がみていて「そういう歩き方してもいいんだ」と、その歩き方をマネして成長していってしまいます。 それでよいと思いますか?
大きなからだで歩きスマホをしながら、じぶんよりもからだの小さな相手にどんどんちかづいていく「おとな」も多くいます。
「ぶつからない」「あたってないからいいだろ」というかんがえのひとがいますが、ぎりぎりをすれちがえば風圧でびっくりしますし、そのおどろきで心臓にストレスがかかります。怖いおもいをして足がもつれて転んだりする高齢者もいますし、実際にそういう場面を目撃したこともあります。
高齢者のなかには、まっすぐあるくということができないひともいます。
老化で首や腰のほねがおおきくまがってしまって前方を眼で確認しながら歩くことができないひともいます。
目がみえないひと、緑内障、白内障、で視力が極端に悪化しているひと、夜目がきかずみえないひと、もいます。
片足をひきずりながらあるくひと、杖をついているひと、ヘルプマークをつけている人、重い買い物にもつをひきづるように一生懸命やすみやすみしながら、ふらつきながら歩いているひともいます。
つよいほうがよわいほうにゆずる。
強い者が弱い者にゆずる。まもる。たすける。
社会はすべて、縦方向へも 横方向へも つながっています。
社会のやさしさ、おもいやり、交通安全も、ぜんぶ つながっています。