こどものゴミ拾いは死亡事故が起きる危険があるのでやめましょう

これまでも 何度も言ってきましたが、こどものいのちにかかわることなので、何度でも言います。

大人であっても車が走る道路でのゴミ拾いはたいへん危険です。
全国でこれまで清掃活動中の交通事故がいくつも起きていて、死亡事故もあります。
ですので、安易に「ゴミ拾いは良いこと」と考えて、子供に道路でのゴミ拾いをさせたり、おぼえさせたりするのは、やめましょう。

私はこれまで、ほかの人に対して自分の考えを押し付けたり、強制したりすることは無く、今後もそういうことをしようとは思いませんが、「子供に道路でのゴミ拾いはさせない!」ということについては、強めに呼びかけ続けたいと考えています。
子供が死んでから悔やんだり、悲しんでもおそく、とりかえしがつかないから。

「おとなが一緒にそばについてゴミ拾いするなら、そんなに心配しなくてもいいのでは?」
というのは、間違いだと、私は考えます。
子供は「ゴミ拾いが良いこと」「ひとにほめられる、おとながほめてくれること」と、おぼえてしまうと、素直で純粋な心で、子供が一人で道路にいるときでも、ゴミを見つけたときに反射的にからだが動いて、まわりの状況を確認せずに低い姿勢で飛び出してしまう危険性があります。
これは単なる想像で言っているのではなく、私自身がこれまでの「交通安全・みまもり・ゴミ拾い」活動のなかで何度も目撃した経験から発言しています。

また、現代の交通事情とも関わっています。
「ゴミ拾いの危険性を心配してくれるのはわかったけど、歩道なら大丈夫じゃないか?」と考える人がいるかもしれませんが、これも私は強く反対します。
現在の「歩行者道路」「路側帯」は、非常に危険です。というのは、「バッテリー付自転車」の普及によって、自転車のスピードがとても速くなっており、自転車重量が重く、しかも静かで、「自転車と歩行者」の交通事故でも、接触事故のダメージが大きく、重大事故につながりやすくなっているからです。実際に死亡事故が起きています。
 キックボードや配達業者の自転車が増えているのはみなさんもご承知のとおりです。

子供はまだからだが小さく、よわく、大人ならケガですむ事故でも死んでしまいます。とりかえしはつきません。

道路にゴミがちらかっていることなど「子供の命」にくらべたら、本当にどうでもよいことです。
なにより大切なのは「子供の命」です。

子供が道路でゴミ拾いすることは私はやめさせたい、やめてほしい、と願っています。

繰り返しこの注意喚起をしているのは、子供のゴミ拾いを禁止や注意するのが目的でなく、いちばんたいせつなのが、こどもたち、きみたちのカラダ、いのちだよ、ということ。それを伝えたいし、おとなのひとみんなにも改めてしっかりと意識してほしいのです。

道路上で、子供たちが気をつけなくてはいけないのは「クルマ」「オートバイ」「前をみていない自転車」「スマートフォンを見たまま歩いたり走ったりしている大人たち」であり、そのことに一番注意してほしい。
子供たちには、もうそれにだけ集中してほしい。避けたり、止まったり、なるべくはやく相手に気づいて、自分で自分のからだをできるかぎり守ってほしい、そう願っています。

本当は、おとなのほうが、その十倍も百倍も、こどもたちの存在に気をつけなくてはいけないのだけど、
おとなも、まちがったり、失敗することがあるからね。

全国各地で「よかれ」という善意の気持ちから、さまざまな「ごみ拾い」の活動・イベントが行われていますが、そのときに絶対におとなが忘れてならないのは「こどもの交通事故を起こさない」ことです。それは絶対に防がなくてはいけません。
「ゴミ拾い」よりも「命をまもる」ほうがだいじ。
どんな立場のひとだろうとそれに異論はないはずです。

今日、まちのなかで「交通安全・みまもり・ゴミ拾い」活動中に、「孫といっしょにゴミ拾いをしている」という方とお話しする機会があり、自分でも「口うるさい」「水をさすようなことを言って心苦しい」とは思いましたが、「子供がゴミ拾いする危険性」について自分の考えを述べさせてもらいました。

「交通安全運動」と「ゴミ拾い」を同時に行っている私だからこそ、たとえ煙たがられても、この件については、言い続けていかなくてはいけないと思っています。たとえ自分が損をしても、言うべきことを言う。
それが大人の、自分の、責任だと覚悟をもって意見を発信しています。

この記事を読んでいただけたみなさまにも、この意見について、考えてみてもらえたらありがたく思います。



追記: 2021年10月インドネシアで、リバートレッキング(川歩き)と川岸の清掃活動に参加していた10代の生徒11人が水死する事故が起きています。その前年2月にも10人が亡くなる事故が起きています(AFP通信