まちのみんなで お母さんにやさしくすることで手伝う(普段から毎日)
⭐️ 2024年10月19日 北海道小樽市
小学校低学年の女児死亡、40歳代の母親を逮捕…義理の娘の腹を複数回殴った疑い
毎日まちのなかで、いっしょうけんめい子育てしている、こどものおせわをしてくれているお母さんを見かけます。
ふだんいつもはやさしいお母さん。そのお母さんが、ときには、こどもに対して乱暴な言葉をぶつけてしまったり、かなり手荒な動作で子供を力づくであつかう場面に であって一瞬どきりとすることもあります。
(それでも、そんなことはあたりまえにあっておかしくないことでもあります。完璧な人間なんてどこにもいません。)
まわりにひとが歩いている町のなかで、お母さんがじぶんの子供に対して、手荒な、攻撃的なこわい態度をみせているそのときに、その場でできることはほとんどありません。
わたしは、経験上、そう思います。
もちろん、いのちの危険があるとかケガをしそうであれば介入して止めますが、そこまでの状況でなければ、余計なくちだしは、お母さんにとっても、こどもの側にとっても、よけいにつらいストレスや「はずかしい」気持ち、「怒り」や「やりきれなさ」を増すだけになる結果が想像に難くありません。
できるのは、毎日のやさしさのつみかさね
だから、その時その瞬間じゃなくて、
まわりのおとなたちにできること、地域のおとなたちにできることは、その時とは別の場面、普段の毎日の生活のなかで、いつでも子育て中のお母さんにやさしくする。
おおげさなことや、ドラマチックな手助けなどではなくて、
いつもやさしくする。
ふつうにやさしくする。
いつでも。どこでも。普段から、まいにち。
まちのなかにいるおとな全員で子育て中のお母さんみんなにやさしくして「やさしさの貯金(たくわえ)」をつくる。
そのお母さんがひとりになったときでもその「やさしさの貯金」が役立つ、それがささえや、いたわり、はげまし、よりどころになって、優しさの防波堤で、
いのちがまもられる社会をつくっていきたいと私はかんがえています